「名門校の教育は意味がない」は本当か

教育

今回は「名門校の教育は意味がない」は本当かについて考えてみます。

最近こんな記事を見つけました。

「名門校の教育は意味がない」多くの日本人が知らない「残酷な現実」-教育論を語るのにふさわしいのは一体誰か- 畠山勝太

「名門校の教育は意味がない」多くの日本人が知らない「残酷な現実」(畠山 勝太) @gendai_biz
メディアに出て教育論を語るのにふさわしい人間は誰だろうか?

この記事は、「教育論を語るのにふさわしいのは誰か」という問いかけから始まっています。

(以下、記事内容のネタバレを含みます)

この問いかけに対する結論としては

教育論を語るのにふさわしいのは「生徒の家庭環境が悪くても学力偏差値が向上した学校の校長」ではないかいうものです。

これだけではなんのことかわからないと思うので説明すると、

(1) 現状 : 有名大学の学長や有名進学校の校長が教育論を語っている
(2) 問題提起 : しかし有名な学校はもともと生徒が優秀だったり家庭環境がよかったりするだけではないか
(3) 主張 : 本当に教育が効果的な学校というのは、もともと優秀だったり家庭環境がよかったりしなくても生徒の学力偏差値が向上した学校ではないか

ということです。

この説明には一定の説得力があります。

実際、教育経済学の実験の範囲内ではこれを裏付けるようなデータもあります。

(ただし、実験の範囲内の話であり、これを広く社会の法則というにはまだ早いですが)

この記事は、

「有名な学校は教育の内容が優れているからいいのだ」

と思っている人にとっては驚きをもって受け止められるでしょう。

一方、この記事を読む前から経験的に

「教育の結果は学校で教える内容というより個人の資質で決まる部分もある」

と思っていた人にとっては自分の考えが裏付けられることになったでしょう。

私は後者です。

ここで私自身の経験をお話しますと、私は静岡県の田舎で小学校から高校まで公立の学校に通いました。

田舎の公立では、いい学校に入ったらいい教育を受けられるように思っている人もいました。

しかし、そう思っているのは主に地域トップ校に行く人だけでした。

地域で(学力的に)3番手以降の学校に行く人は、どんな考え方だったかというと

「自分の人生は何か運命で決まっていて自分で変えることは難しい」

という考えが主流だったように思います。

このことを今振り返ると、彼らは親の遺伝や文化資本で自分の人生が決まることを直感的に理解していたのではないかと思えるのです。

例えば、数学の学力は遺伝の影響が大きいと言われています。

だから、数学が苦手な人に対して必ずしも「努力が足りない」とはいえません。

では、なぜ地域トップ校の生徒は「いい学校に行けばいい教育を受けられる」と信じていたのでしょうか。

それは、私の見解では親からの教育(洗脳)ではないかと思います。

なぜなら、それが格差のある人間社会での適応的な生き方だからです。

事実かどうかは一旦置いておいて、そのように信じる方が生きやすいからです。

他人に対して格差を煽るような言動をしても恨まれるだけです。

そのような言動を封印した方がスムーズに生きていけます。

また仮に人生の大部分が遺伝や親の文化資本で決まっているとしたら努力する必要がなくなってしまうでしょう。

もっと言えば、自分の人生を主体的に生きていくことに意味がなくなってしまいます。

そして、人生の大部分が生まれつきの才能で決まるというのは不安のもとにもなります。

もし自分が育ての親と血の繋がった子であれば親と同等の能力があるはずです。

しかし、もし自分に親と同等の能力がなければ血の繋がりがない子かもしれません。

なんとなくですが、能力の証明はこのような生物的、本能的な不安に対して起こるような気もするのです。

また親としては、子どもが「私は遺伝的に学力の才能があるし文化資本もあるから努力しなくていい」と悟っては困ります。

いくら才能があっても努力しなければ才能が開花することはなく親の資産を食い潰すことになってしまいます。

というわけで、富裕層や高学歴層の人間はその話を一般人にしてはいけないのです。

特に親、子、孫と続くような高学歴高収入の家系では差別的な言動は品がないものとしてタブー視されます。

つまり、家柄がいい人には紳士淑女としての振る舞いが求められるわけです。

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だから、学力や収入は遺伝や文化資本の影響を強く受けるという傾向は直感的にわかっていても言ってはいけないのだと思います。

それを公言したら自分の身に危険が及ぶだけでなく、社会の支配構造が浮き彫りになることで人々の不満が噴出しかねません。

これが、エスタブリッシュメントの一つの側面ではないかと思います。

このように考えてみると、アメリカのWASPとかアイビーリーグ、ユダヤ人の考えが少しわかるような気がします。

日本にもアメリカほどではないにしても格差があります。

そうすると、東大とか慶應の人間や東京の富裕層がなぜ子どもを有名な学校に入れたがるのかわかるような気がするのです。

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