進化心理学とリアリズムの行き着く先は虚無なのか?

進化心理学とリアリズムの行き着く先は虚無なのか人生

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自己紹介はじめまして。(Y)です。このサイトでは、心理学の視点から教育について情報発信しています。もともとこのサイトの主なコンテンツは、高校生向けの「どうしたら大学に合格できるのか」という情報です。しかし、最近は社会人向けに進...

 

私は進化心理学が好きで、関連する本や論文を読んでいます。

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すると、悲しい気持ちになることがあるのです。

 

例えば、「人間が理性だと思っていたのは実は高度に発達した本能だ」とか。

そんなこと言われたら、人間に愛とか勇気みたいなものはないのだろうかと思ってしまいます。

 

それに、進化心理学を学ぶと「人はなんのために生きているのか」という問いに半分答えが出てしまう人もいるのではないでしょうか。

「生物の肉体は、生存と繁殖を目的する遺伝子の乗り物である」とか。

そう考えたら、私たちはなんのために生きているのでしょうか。

 

また国際政治学の研究でも、進化論はリアリズム的な行動に説明をつけました。

みんな自分の家族と、家族概念を拡大した部族、民族が第一なのだと。

戦争が起きるのは民族間の資源競争が原因であり、ある意味本能的なものであると。

 

こういった圧倒的な説の前に、私はただ息を飲むばかりです。

いくら生物が好きでも、これではさすがに辛くなってしまうことがあります。

 

では、進化心理学とリアリズムの行き着く先は虚無なのでしょうか?

私は、そうではないと思います。

 

まず、人間の本能は「心のモジュール」という概念で表されます。

参考 : 中尾 央「心のモジュール説の新展開 : その分析と二重継承説との両立可能性

これは、心は一枚岩ではなく複数の本能の集まりで構成されているということです。

 

心のモジュール説には批判もありますが、私には一定の納得感がありました。

 

だから、同じ人間の心のなかに「闘争を求める本能」と「闘争を避ける本能」が同居してもおかしくはありません。

つまり、誰もが戦争と平和の二つの心を持ちうるということです。

もしかしたら、誰にでもナチス・ドイツのヒトラーのようにユダヤ人虐殺を起こす可能性と、それを止める可能性があるとも言えるかもしれません。

 

また私たちの本能のなかに包括適応度という概念があれば、家族概念を民族から人類全体に拡大することも可能かもしれません。

包括適応度は、ある個体の遺伝子のコピーの複製に、その個体がどの程度寄与するかを示す量です。

包括適応度:Inclusive fitness

ミツバチなどの社会性昆虫では、例えば働きバチの場合、自分が繁殖するより巣のなかの他個体を育てた方が包括適応度が高くなると言われています。

 

要は、利己的に生きるより利他的に生きる方が自然なケースがあるってことです。

戦争をするよりも平和に共存した方が得だと多くの人が認めれば戦争は防げるかもしれないのです。

 

それでも、いくらか希望はあると思います。

とにかく、進化心理学の研究結果を恐ろしいと感じる人もいると思いますが、悪いことばかりではないというわけです。

これからの研究成果が楽しみですね。

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