目の前の課題に向き合うということ

人生

こんにちは。Yです。

目の前の課題に向き合うということ

最近、新しく書くブログ記事の内容が人生論的な内容になってきました。

なぜそうなったかというと、自分自身が生き方について気づくことが増えたからだと思います。

また、内面の成熟ということについて考えるようになったからだと思います。

ただ一方で、そういう人生論的な内容って大学生が書くべきことじゃないと思うんですね。

自分を含め、大学生って世の中のことがよくわかっていない。

それは単純に、社会の中で揉まれた経験が少ないからでしょう。

大学という特殊な空間にいると、どうしても世間とのギャップがある。

実際に社会の中でアルバイト以上の難しい仕事をやってみると、

大学で自分がやっていたことは大したことなかったな、と思うのかもしれません。

それで、私もこうやってブログを書いて現実逃避をするのではなく、

大学の授業の課題や、卒論の研究をしなければならない。

結局、目の前のやるべきこと、課題に正面から向き合うことができていないから

現実逃避で変なことをしてしまうわけです。

そうすると、ブログの更新なんて課題に比べたら優先順位は高くはないですから、

暇つぶしの趣味みたいなものです。

そんなことしてないで課題をやれ!卒論の研究をしろ!って感じですよね。

とはいえ、こうやって自分の考えをまとめることも意味がないわけではありません。

私にとって文章を書くことは救いであり、浄化作用があることだと思います。

精神の浄化、カタルシスを得るのです。

文章を書くと、何かを成し遂げたわけではないけれど、気持ちがよくなる。

そういうものではないでしょうか。

誰かが自分の文章を読んでくれたら承認欲求も満たされる。

だから、私はブログとYouTubeで承認されるおかげで生きられているともいえます。

私がYouTubeを始めたのは、「自分の生きた証を残したい」という気持ちが影響しています。

人間を含め、生物には寿命があるわけで、私もいつかはこの世から消えてしまいます。

もし私に子どもがいれば、私の遺伝子は残るわけですが、そうでなければ私が生きた証は残らない。

もちろん、数十年程度であれば誰かの記憶に残るかもしれませんが、百年後には私のことを誰も覚えていないでしょう。

それは寂しいことです。

人が何か作品を残そうとするのは、文化的緩衝装置といって、死の恐怖を和らげるためだという説があります。

死の恐怖を和らげたいヒト
存在脅威管理理論からわかる自尊心の適応的機能

おそらく、私のブログやYouTubeは、この文化的緩衝装置なのでしょう。

私が死んでも、YouTubeというサービスがなくならない限りはネット上に私の動画が残るのです。

YouTubeのすごいところは、人間がネット上に分身を作れるところだと思います。

私がリアルな世界で1時間話すのは大変ですが、一度動画を収録してYouTubeにアップしておけば、色々な人が必要に応じて見てくれます。

そうすれば、合計1時間の再生時間を稼ぐのはそんなに難しくありません。

動画が自分の分身となって話してくれるってすごいですよね。

というわけで、私がブログやYouTubeをやっているのは、現実逃避だけでなく自分が生きた証を残すためだということになります。

それに付け加えるならば、やはり「自分が何か人の役に立てたらいいな」という気持ちもあります。

私の専攻である進化心理学の考えを借りると、人は生物である以上、自分のために生きています。

人のために何かするといっても、相手が見返りをくれるのを期待してやっているわけです。

しかし、人間は脳が発達したために宗教を作ってしまいました。

信仰など、他の生物よりも面倒なことをやっているわけです。

そして、見返りを求めない愛というのも、信仰の一種です。

私は、その見返りを求めない愛という信仰を持っています。

それがなければ、ブログなんて面倒くさくて続けられません。

どんなに承認欲求が強い人間、孤独な人間でも、ブログを1年以上続けるのは大変です。

少なくとも、私にとってブログは、承認欲求だけでやっていけるほど楽ではありませんでした。

実際、サーバー代などお金もかかっています。

そう考えれば、私がブログを書くのは自己満足のためですが、心のどこかでは「誰かの役に立ってほしい」と思っているのでしょう。

そこまで自分でわかっているならば、多少苦しいことがあっても目の前の課題に立ち向かっていけるはずです。

なぜなら、今日私が交通事故か何かで突然死んだとしても、私の文章を読んでくださった読者の方々が生きているから。

私のブログの影響がどれくらいあったかは分かりませんが、(読んだ文章を忘れてしまっても)何かの機会に思い出してくれる人が1人でもいたら、それでいいんです。

もっといえば、これまで生きてきた中でお世話になった沢山の方々に、恩返しができたらいいなと思っています。

実際、恩返しというのは大変ですが、恩送りならできるかもしれません。

私も、大学で小さな組織の代表を務めさせていただいています。

後輩たちのために、何かを残すことができたらと思って生きています。

そのためにも、目の前の課題に向き合いつつも情報発信を続け、自分を磨き続けていきたいのです。

ところで、私の「なりたい自分」は、"自立した大人"ということなのですが、まだ実際の能力が追いついていません。

だから私は自分の課題、つまり人と関わって精神年齢を向上すること、をやっていきます。

このブログも、課題からの現実逃避のように見えて 実は思考を整理することに役立っています。

等身大の自分を認めて好きになり、地に足のついた生き方をしていきたいものです。

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