ブログと自己表現

人生

こんにちは。Yです。

今回は、ブログに文章を書いて自己表現することについて書きます。

どんなときにブログを書くのか

私がブログを書くのは、調子に乗っているときです。

ここで言う「調子に乗っている」というのは、2つの意味があって、

(1)体調がいい

(2)文章を書きたいという気持ちが強い

ということです。

そもそも、私は普段、あまり文章を書きたいとは思いません。

なぜなら、書くのが大変だから。

文章を書くのって意外と疲れるんですね。

もちろん、デタラメな文を作るなら楽ですが、ある程度まとまりのある文章を書くのって大変なんです。

特にブログの投稿は読者のことも考えていますからね。

そうすると、ブログを書くということは、元気な時しかできません。

元気なときに、気が向いたら書こうかなという感じです。

正直、ブログ記事を毎日更新されている方はすごいと思います。

記事を書くことを習慣化して、「絶対に書く」と決められているのでしょう。

私はそこまで意思の強い人間ではないので、書けるときに書いています。

ただ、文章を書きたいという気持ちが強いときもあります。

そういうときは、勢いで書いてしまいます。

その時の自分の状態は、過集中に近いかもしれません。

ブログの文章って、私は何回かに分けて書くのは苦手です。

勢いで書いてしまわないと、あとで続きを書こうとしたときに何を書けばいいかわからなくなってしまいます。

そうなってしまうのも、記事内容の構成メモがないからなんだと思います。

ただ、勢いで書くというのも悪いことではありません。

何か「書きたい」という強い衝動があるとき、文章に熱がこもるのです。

これは、きちんと練り上げられた文章が人の心を動かすとは限らないという話にも通じます。

ここでは、人の心を動かす文章を書くということを考えるために、演説について考えてみましょう。

いい演説は、人の心を動かす力を持っており、それは文章と同じような力です。

例えばアメリカ大統領の演説というのは、たいてい原稿を書いてくれる人がいて、それを読み上げています。

トランプ大統領がどうだったかは分かりませんが、少なくともそれ以前のオバマ大統領は事前に原稿を用意するタイプだったような気がします。

しかし、そうやって事前に原稿を用意できるのは時間的余裕があるからです。

例えば戦場では、悠長に原稿を用意する暇はないでしょう。

そんな状況でも、いい演説をする人がいる。

これは、演説の良し悪しは事前の準備だけで決まるわけではないということを示しています。

だからこそ、何か「書きたい」という強い衝動を大切にしたい。

熱のこもった文章を書きたいというのは、そういうことなのです。

私は文章を書くということは自己表現であり、アートだと思っています。

自己表現というのは恥ずかしいことで、エゴを曝け出すことです。

たしか、三島由紀夫がそんなようなことを言っていたと思います。

だから、自分の心の内なる衝動を解放することが必要なんです。

また、私はいつも頭の中を色んな考えがぐるぐる回っている人間でして、

整理しないとすぐにアイデアを忘れてしまいます。

だから、記事は内容を忘れないうちに書いてしまいたいのです。

そういうわけで、ブログを書くのは調子がいいときなんですね。

もっと言うと、自分に酔っているときに文章を書いているのかもしれません。

そうでなければ、自己表現なんて恥ずかしくてできません。私は。

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