千里の道も一歩から

人生

Yです。

今日は、以下のタイトルで書いていきます。

千里の道も一歩から

「千里の道も一歩から」

私がこのことわざを意識するようになったのは、最近のことです。

私が大学に入ってから出会った人で、すごい人が何人かいました。

すごい人の属性は、東大生が多かったです。

東大に入るだけの学力を持ちながら、勉強以外の活動も精力的にしていました。

そういうすごい人たちを見ると、自分とは住んでいる世界が違うと感じてしまいます。

実際、同じ日本に生まれても生まれ育った環境はかなり違うと思います。

「優秀な人は親が偉大」というのはよくあることで、遺伝と環境の両面で恵まれているわけです。

ただ、学力や課外活動の能力が遺伝するとしても、親が優秀なら子どもも優秀とは限りません。

親が医師でも医学部に受からない子どもはいますからね。

そう考えると、優秀な人・すごい人は親が優秀なだけでなく、本人も何かを持っているのでしょう。

例えば、努力できる遺伝子とか。

発達障害の一種である自閉症スペクトラムの人の一部は、勉強に対して凄まじい集中力を発揮することがあります。

普通の人は、勉強しようと思っても何時間も机に向かっていたら疲れて勉強に飽きてしまいます。

ところが、比較的長い時間集中して勉強することを苦に思わない人もいるのです。

この特性が遺伝するならば、それは努力できる遺伝子があると言えるかもしれません。

まあ、発達障害で苦しんでいる人の多くは長所と短所の両方を持っているので、単純に羨ましいとは言えないのですが。

そう考えると、努力することすら遺伝で決まっているような気がする人もいるでしょうか。

とはいえ、人の能力には遺伝と環境の両方の影響があるというのが現在の生物学者の見解だと思います。

そう考えると、自分で環境を変えることができれば希望はあります。

例えば、長時間机に向かって勉強するのが苦手な人は、机に向かわなくても勉強ができる仕組みを作ればいいのです。

私も長時間机に向かって勉強するのが苦手でした。

じっとしていられない性格だったのです。

だから、音声の教材を買って教材を隙間時間に聴くようにしていました。

例えば、移動中に英単語の音声を聴く。

このように、工夫すれば多少は伸びる余地はあります。

もちろん、数学のように机に向かって一定の時間を取らないとやりにくい科目もあるので、それは頑張って机に向かうしかないわけですが。

そもそも、勉強法を工夫しようとかいう発想ができる人はモチベーションが高い人の可能性があるので、強いて言えばモチベーションの格差はあるかもしれません。

ただ、モチベーション格差とか「将来に希望を持てるかどうか」の格差とか、そんなこと言い出したらキリがないです。

格差が良いか悪いかは別として、自分ができる限りのことをやるしかないんですね。

そうすると、「千里の道も一歩から」ということわざの意味がわかってきます。

たしかに東大には家庭環境が恵まれている人が多いですが、同じように環境が恵まれている人全員が成功しているわけではありません。

環境が恵まれているのに落ちぶれてしまう人もいます。

それに、恵まれている人を羨んでいる人も、急に環境が良くなったからといってうまくいくとは限りません。

例えば、宝くじに当選して急に大金を得た結果、金銭のトラブルに巻き込まれてかえって不幸になった人もいるのです。

宝くじの話などから考えると、結局人は自分の器以上のものは持てないのでしょう。

そして、器を大きくするには色々な人生経験を積むしかしかありません。

そうすると、目の前の課題を一つ一つクリアしていくことが最も重要だと言えるはずです。

それが、「千里の道も一歩から」ということなのでしょうね。

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