中島敦『山月記』の李徴に共感できる人は素直だと思う

人生

中島敦『山月記』は高校の国語の教科書によく載っている話です。

私も高校生のときに国語の授業で読みました。

この話の主人公、李徴に共感できる人は素直だと思います。

李徴は中国の人で、科挙に合格するんですが、この科挙がすごく難しい試験なのです。

今の日本の官僚の試験より難しいと思います。

今の日本の官僚の試験は国家公務員総合職試験という名前です。

私も一度受けてみようと思い過去問を買ったのですが、難しすぎて断念しました。

この試験がどんなに難しいかというと、この試験に受かって官僚になる人は昔は東大ばかりでした。

最近は官僚は色んな大学から出ていますが、昔は東大法学部卒ばかりというイメージでした。

そして李徴は、そんな今の日本の難関大卒のエリートよりさらにすごい人なのです。

その超エリートの話に、平均的な高校生が共感できるのでしょうか。

そもそも全員が共感できるかどうかわかりませんが、一部共感した人もいると思います。

なぜ共感できるのか考えてみました。

例えば、科挙に受かるのはともかくとして、その後落ちぶれていく話が一般化できるのかもしれません。

プライドが高すぎて失敗する人の典型というか。

ここに関しては、李徴の話を娯楽として読むのか、教訓として読むのかという読者ごとの差はありそうです。

ただ、私は、自分だったら科挙には受からないと思うのでそこまで共感できません。

私が共感できない理由の一つとして、官僚のすごさを知っているからというのもあります。

私は大学の授業で官僚の方のゲスト講演を聴いたことがあります。

また、経済産業省で地方創生について学ぶワークショップに参加したこともあります。

もっと言えば、財務省、外務省、経済産業省の合同説明会に参加したことがあります。

実際に官僚の方々の優秀さを知っているからこそ、自分との距離感が掴めるのでしょう。

官僚と接する機会が全くない人からすると、それこそ雲の上のような話なのかもしれません。

以前、ドラマの半沢直樹はエリートの話だと別の記事で書きました。

エリートの話を題材にしておきながら一般の国民が共感できるって不思議なことですよね。

山月記の場合はみんなが共感しているかはわからないとしても、自分の周りで何かと話題になるので取り上げてみました。

私の場合、自分は李徴のような秀才になれなかったという挫折感があります。

「絶望することすらできない絶望が本当の終わりなのだ」と誰かが言っていましたが、そんな感じの心境です。

やっぱり李徴はすごいと思います。

私のような一般人は、高望みしないで慎ましく生きていくのがいいのかもしれません。

そして、李徴の話に対して考えすぎず素直に教訓を読み取れる人の方が生きやすいと思います。

私はきっと、小説1つに対して考えすぎなのでしょう。

素直な心は大事ですね!

コメント