進化と心理第2号【2022年8月13日】狼牙へ二パウイルスと自然主義の誤謬について

進化と心理

こんにちは。Yです。

中国で、また不思議なウイルスが出てきました。

新種の「狼牙ヘニパウイルス」、中国東部で35人が感染 動物由来か

新種の「狼牙ヘニパウイルス」、中国東部で35人が感染 動物由来か(BBC News) - Yahoo!ニュース
中国東部で動物由来の新種のウイルスが発見され、住民ら35人が感染していることが明らかになった。 「狼牙へニパウイルス(LayV)」と名付けられたこのウイルスは、山東省と河南省で発見された。感染者の

中国東部で動物由来の新種のウイルスが発見され、住民ら35人が感染していることが明らかになった。

「狼牙へニパウイルス(LayV)」と名付けられたこのウイルスは、山東省と河南省で発見された。感染者の多くに発熱や倦怠(けんたい)感、せきといった症状があるという。

患者らは動物からこのウイルスに感染したとみられている。人から人に感染するかは明らかになっていない。

研究チームによると、このウイルスはトガリネズミから見つかることが多いという。

BBC NEWS JAPAN「新種の「狼牙ヘニパウイルス」、中国東部で35人が感染 動物由来か」
Yahoo! Japan ニュース 8/11(木) 13:41配信

新型コロナウイルスだけでも対応が大変なのに、また新しいウイルスが出てきました。

前回はサル痘を取り上げましたが、これからも色々な感染症が出てくるのでしょうね。

BBC NEWSなどを見ると、狼牙ヘニパウイルスの自然宿主はトガリネズミのようです。

トガリネズミは名前に「ネズミ」と入っていますが、どちらかというとモグラに近い生き物。

鼻先が尖っているのでトガリネズミというのでしょうね。

今回狼牙ヘニパウイルスが発見された山東省と河南省は、中国の海側の地域です。

山東省

山東省は沿岸の地域ですし、河南省も山東省の西隣り(西南)なのです。

新しい病原体が発見されると「山奥に人が入っていって感染した」というイメージがあったので、驚きました。

新型コロナウイルスの第一例目の感染者も武漢市で発見されていて、武漢市も中国の中部です。

武漢は歴史のある都市で、現在も発展中の都会です。

新しい病原体は人里離れた地域から来るという先入観を取り払わないといけません。

そもそも、ウイルスや感染症に対する知識を持った人が世の中にそう多くないということもあります。

そういえば、ウイルスや感染症の話題になると、医師とそれ以外の人たちとの意見の相違が目立ちます。

私は、ウイルスは生物と無生物のあいだの存在であるから人間がコントロールできるようなものではないということを主張してきました。

人間は自然を恐れないといけないよと。

人間の都合どおりには物事は進まないと言ってきたのです。

しかし、それは感染防止対策を徹底しなければならないという意味での主張です。

ウイルスが自然のものだからといって、感染するのが仕方ないとは言っていません。

どうやら、このあたりの解釈については、医師とそれ以外の領域の専門家で意見が分かれることが多いようです。

獣医学や生物学を専門とする人の中にノーマスク派や反ワクチン派がいるのが残念です。

獣医学者や生物学者の一部は、ウイルスに対して自然をベースに考える傾向があるのだと思います。

ですが、自分の命を守るということを考えたときに、短期的にであっても感染者を減らせる施策を打つべきではないでしょうか。

地球の歴史みたいな長い目で見たら、どんな生物もいつかは進化・絶滅して新しい生物に置き換わるのでしょう。

しかし、だからといって今日自分が死んだ方がいいとはなりません。

自然界が実態としてどうであるか(真理)を追求することと、政策としてどうすべきか(施策)はまた別の議論だということです。

この辺りの話というのは、「である」と「べきだ」の誤謬なのかなと思います。

自然主義の誤謬、「〜である」から「〜であるべき」への飛躍
自然主義の誤謬とは、「〜である」から「〜であるべき」だという考え方である。
「〜である」と「〜であるべき」は、言うまでもないがまったく異なる。それを単純に繋げてしまえば、当然間違ってしまう。
言い換えれば「自然なものは善いモノである」と思い込んでいる状態だ。
「人間は生まれつき能力に違いがあるのだから、扱いも変えるべきだ。」というのは、自然主義の誤謬と言える。
政治的に保守的な人ほど、自然主義の誤謬に囚われる。

株式会社フロウシンク「自然主義の誤謬、道徳主義の誤謬」2017.05.06

医療政策が難しいのは、まさにこの「医学的な真理の探究」と「政策的実効性」のバランスなのだと思います。

研究者は自然界の真理を知りたいが、臨床の医師は患者を治療したい。

臨床の場合、「Aという病気に対してBという治療が有効かどうか」が大事なわけです。

その「有効」というのも、「実験をして統計を取ったら何%の患者の症状が改善したか」というような話です。

全ての病気が一度に治る治療はありません。

だから、臨床では統計とか確率みたいな思考をするのだと思います。

それが、目の前の患者さんに対して最善の手段を取るということでしょう。

統計や確率の思考がないと、ノーマスクでも新型コロナに罹らなかった人がいたときに「だからマスクは意味がない」というような結論を導いてしまうかもしれません。

政策はまず多数派の人がどうなるかを考えるべきであって、その後に少数意見が尊重されるという順番でなければなりません。

この順番が逆になると、優先順位がつけられず時間が無駄になるからです。

限られた資源を使って最大の成果を出すという戦略的思考が必要だと思います。

ワクチン接種に関しても、副作用のデメリットを上回るメリットがあるから推奨されているということが分からないと難しいですね。

現代の医療が発展してきたのは、患者の感情をある程度無視してでも「とにかく病気を治す」ということにエネルギーが使われてきたからだと思います。

現在、風邪やインフルエンザなどのよくある病気に対してはかなり治療ができるようになっています。

こうやって医療が発展してきてやっと「患者の気持ちに寄り添う」みたいなことをする余裕が出てきました。

私は人間の感情に対して、「なぜAという状況に対してBという感情が発生するように進化したのか」と考えます。

そこまで考えてやっと、人の感情にも意味があるのだなと分かったわけです。

しかし、だからといって感情的になって意思決定がめちゃくちゃになってもいいというわけではありません。

「どうせみんないつか死ぬのだから感染対策は適当でいいよ」というのは流石に暴論すぎます。

私は、とりあえず自分の子孫を残してから死にたいので、「どうせいつか死ぬ」みたいな暴論はもう少し待ってほしいというのが正直な感想です。

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