「黄金を抱いて翔べ」のモモに感じた時代の空気

人生

こんにちは。Yです。

今日GYAO!で映画「黄金を抱いて翔べ」を観ました。

元々、GYAO!では「映画が伝える戦争」という特集をやっていて、戦争の映画を観るつもりでした。

しかし、GYAO!のサイトにアクセスすると「黄金を抱いて翔べ」が無料だったので観ました。

期間限定で、色んな作品が無料になっているんですね。

「黄金を抱いて翔べ」は、原作の小説を読んだことがあります。

確か、文庫版だったと思います。

原作は1990年の作品らしいですね。

モモの生き方

この作品に、モモという元工作員の男が登場します。

モモは朝鮮半島出身で、出身国の指示で爆弾を作ったりしています。

しかし、モモは別の工作員の罠に嵌められて国から追われます。

居場所がなくなったモモは、爆弾製造の腕を買われ主人公たちの金塊強奪計画に参加します。

ネタバレになりかねないので詳細は伏せますが、金塊を盗むのに爆弾が必要になったのです。

モモは爆弾製造の仕事をするうちに仲間に馴染み、金塊強奪計画の仕事が楽しいと語るようになりました。

金塊強奪計画の仕事は、国家のためでなく自分の自由にできるから楽しいのだとモモは言いました。

「黄金を抱いて翔べ」のファンである、まりこさんはブログに以下のように書かれています。

国家の為に、名前も人生も捨てて生きざるを得ないモモの生き方は、奇妙な迫力をもって、私の胸に迫りました。

ちょうど東西の均衡が、ベルリンの壁崩壊をきっかけに崩れ始めた頃で、共産主義の血の歴史が明らかになりつつあったし、国とか社会とか、日本ではもう失われた”国家という大きな物語の中に自分の人生のページがある”、そんな感じが、どこかまぶしい気さえしたんだと思う。

自分の周りのちっぽけな人間関係とか、自分の将来にやりたいことがない、とか、そういう、ちっちゃな悩みじゃなくて、もっと大きなものと向き合っていることが、なんか羨ましいっていうか・・・、

いや、モモの生き方は不幸かもしれないけど、でも、「モモに比べたら、私の悩みって、贅沢な悩みなんだろうなあ」って、どこかひけ目を感じたんですよね。

自分の生活を楽しくすることに夢中になりながらも、日本人の多くが、そういう、何か欠落した感じ・・・自分の中心にあるものが、なんなのか分からない感じを抱えながら生きていた、そんな感じがします。

まりこ 「原作ファンでトンペンが観た「黄金を抱いて翔べ」映画と原作徹底比較⑤番外編」
2012-11-12 17:21:28 東方の神が起き上がる瞬間

1990年という、冷戦が終わろうとする時期に出版されたのが「黄金を抱いて翔べ」でした。

国家という、大きなものを背負っている人が羨ましいという気持ちは私にもあります。

私も、映画を観る前に小説を読んでいたので、小説を読んだときにモモに憧れました。

大きな物語のない時代

そしてこの、まりこさんの記事を読んで、私は大学1年の夏にベルリンに行ったことを思い出しました。

私は旧東ドイツ博物館に行き、旧東ドイツの人々の生活を見ました。

物質的な豊かさで言えば東ドイツは決して裕福ではなかったと思います。

東ドイツにはトラバントという車があったのですが、この車はつくりがボロくて「段ボールカー」と言われていたそうです。

これがトラバントです。博物館でこの車の座席に座りましたが、めっちゃ狭かったです。

食べ物も、新鮮な野菜があまり手に入らなくて缶詰の食べ物を食べていたとか。

そんな生活は正直全然羨ましくないです。

しかし、それでも冷戦とか国家みたいな大きなものに対する憧れはありました。

だから私は東ドイツ博物館に行ったのだと思います。

例の(黄金を抱いて翔べとはまた別の)映画で、タイラーが言っていました。

俺たちは歴史のはざまで生まれ、生きる目標も場所もない。新たな世界大戦も大恐慌もない。今あるのは魂の戦争。毎日の生活が大恐慌。テレビにこうそそのかされる、いつか自分は金持ちかスーパースターかロックスターだって。だが違う。少しずつ現実を知り、とうとう頭がキレた!

タイラー・ダーデン

「俺たちは歴史のはざまで生まれ、生きる目標も場所もない。」

本当にその通りだと思います。

日本が平和なのはいいことだけれど、日常生活は面白味がない。

それで、一部の人は退屈な日常に倦んでタイラーみたいになってしまうのかもしれません。

自由とは何か

モモに話を戻すと、モモは時代の空気を纏っていました。

国家のために生きることを強いられ、一時的にそこから解放される。

そして、解放の代償を支払うモモ。

「この仕事は、国家や思想も関係なく自分の自由にできるから楽しい」

と語ったモモは人間の生きる喜びを体現していたように思います。

「黄金を抱いて翔べ」には、主人公の幸田の幼少期に関わってキリスト教が登場します。

注 : この記事はここから急に宗教の話になります。しかし、宗教の話がしたいというよりは、「モモに影響を受けて自分はどう生きるか」というのがこの記事の本筋です。少々脱線しますが、しばしの間お付き合いください。

さて、トルストイの『光あるうち光の中を歩め』によると、キリストは「真理は我々を自由なる者となす」と言ったそうです。

ここで言う真理とは、イエスこそが救世主であると認め、神を信じることで救われるということでしょうか。

愛と希望、そして信仰こそが人間を自由にするのだということかもしれません。

モモが爆弾を作っていたとき、その仕事は国家のためではなく自分が愛する仲間や自分自身の希望のためにやっていたはずです。

その意味で、モモは自由になったのでしょう。

自分を犠牲にして他者を助ける行為にこそ無償の愛が現れ、そのとき人間は本当の意味で自由になるのだということ。

少し言い方を変えると、「人は自分が一番大事なうちは孤独だが、自分よりも大切なものを見つけて愛すると自由になる」。

参考 : 講談社社員 人生の1冊【73】累計220万部のベストセラー!『100万回生きたねこ』
王伶舒「物語に救われる人もいる」2018.07.01

講談社社員 人生の1冊【73】累計220万部のベストセラー!『100万回生きたねこ』 講談社 今日のおすすめ
講談社社員が、講談社から刊行された自分だけの「1冊」を紹介します。第73回 佐野洋子作・絵『100万回生きたねこ』。220万部突破の大ベストセラー絵本! 1909年(明治42年)の創業以来、100年を越える歴史の中からセレクトした本のおもしろさが、本好きのあなたに届きますように!

イエスは、「自分の家族を助けるのは当たり前だが、自分の家族以外の他人を助けることが隣人愛なのだ」と語っていた気がします。

家族愛は普遍的に存在するけれど、その愛を家族以外の人にも延長・拡張していこうということかもしれません。

改めて、自己犠牲的な献身によって人は本当の意味で自由になるということが分かりました。

(ちょっと宗教的すぎるかもしれませんが)

私が「黄金を抱いて翔べ」の小説を読んだのは2012年の映画公開時でしょうか。

そうだとすると小中学生のときですね。

そのときはまだ、キリスト教の知識もなかったので今ほどの考察はできませんでした。

「黄金を抱いて翔べ」は、自分が強く影響を受けた作品というほどでもありません。

しかし、今改めて観ると、色々なメッセージが込められている作品だなと感じました。

「黄金を抱いて翔べ」が面白いのは、1990年の時代の空気を纏いつつ、一方で愛、信仰、裏切り、希望といった普遍的なテーマを描いているからだと思います。

映画で北川が言っていた、「紙幣は国家が破綻すれば紙切れになるが、黄金は腐らない」みたいなセリフは結構重要です。

これは、文字通りの意味もありますが、何かの比喩ではないかという気もします。

例えば、国家はなくなることがあるけれど、愛や希望はなくならないとか。

実際、ソ連という国は1991年に崩壊してしまったので、この発想は間違いではないと思います。

先に私は、冷戦のような大きな物語を生きているモモが羨ましいと書きました。

しかし一方で、自分は大きな物語を背負っていない分だけ自由なのだとも思いました。

私がもし今不自由だとしたら、それは国家に何も強制されていないのに自分のやりたいことができていないからです。

私には夢(やりたいこと)があります。

その夢の実現を妨げているのは、他でもない自分自身です。

私たち2020年代の、ある程度生活に余裕のある日本人は、国家や社会を言い訳にできません。

日本は少子高齢化などの現象はあるとしても、まだ先進国で、大半の人は幸せに暮らしているのです。

それなのに自分のやりたいことができないというのは、自分の責任かもしれません。

もちろん、本当に生活が困窮している人や、家庭環境が複雑な人もいますが、少なくとも私はそうではありません。

だから、他の人は置いておくとしても、私自身は自分の人生を生き切らないといけないのです。

「黄金を抱いて翔べ」では「人間のいない土地に行きたい」と言っていた幸田が救われるかどうか、というところで話が終わりました。

この映画では、神が直接的に登場人物を救済するのではなく、神は主人公たちの行動を見守っていました。

だから(と言っていいのか分からないけれど)、私も神によって救われるのではなく、自分自身の手で自分を救わなければならない。

そういう孤独感、焦燥感が私を動かしているのだと思いました。

ブログの執筆も、一部そういう焦燥感でやっているところもあるかもしれません。

そう考えると、夢の実現のためであれば、孤独に頑張るのも悪くないとも思います。

私の場合、夢の実現のためには沢山の勉強が必要です。

勉強は基本的に一人でやるものですし、仲間は後からついてくるものだと思っています。

まずは一人で頑張って、目標を達成したら仲間と語りたいと思います。

孤独を感じたときに、無理に孤独を解消しようとするのではなく、孤独を味わうこと。

孤独を味わい、煮詰めて何かの結晶を取り出すこと。

そういう生き方も悪くないんじゃないかなと思う今日この頃です。

まとめ

話が長くなったので、これまでの話をまとめると、

(1)小中学生の頃の私は「黄金を抱いて翔べ」のモモに憧れた。

(2)なぜなら、モモは東西冷戦や国家という大きな物語を生きていたから。

(3)一方で、2020年代に生きる私には冷戦のような大きな物語がない。

(4)大きな物語がないのは寂しいが、それでも生きていかなければならない。

(5)私は国家や社会に自己のアイデンティティを求めるのではなく、自分を信じる必要がある。

(6)自分を信じるとは、「失敗も多いし恥ずかしくてやめたくなる。でもやめられない、この私というキャラクター」を引きずって自らを愛しながら進み続けることだ。

(6)そうやって自分を信じて孤独な努力を続けた先に、道が開けるのではないか。

ということです。

進撃の巨人の名言を借りるならば、「これは、お前が始めた物語だろ」ですね。

私は、その行いが報われる日まで進み続けるしかないようです。

これも「光あるうち光の中を歩め」ということでしょうか。

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