人生で最終的にやりたいことは何なのか

人生

最近、昔よく読んでいたブログを久しぶりに読みました。

そのブログでは、モテる方法、彼女を作る方法に関する記事が人気のようでした。

そういった恋愛の記事を読んでいて、私は「恋愛って最終的なゴールはどこにあるんだろう?」と思いました。

私の場合、恋愛は、子供を作って育てるまでの流れとして考えられます。

恋愛をしたら必ず子供ができるわけではないけれど、生き物として子孫を残すことはあるはずです。

そして、子作りに結びつかない恋愛も、いつか子育てするときの練習になっているのだろうなと思います。

そうすると、生存・繁殖に有利そうな遺伝子を持った子供を多く作ることが恋愛の目的になります。

しかし、遺伝子はこのように考えながら人を動かしているわけではなく、生存・繁殖のための行動はかなり自動化されています。

そうすると、「モテる方法、彼女を作る方法に関する記事を読む」という一見合理的な方法も、特に意味がないように思えてきます。

「恋愛は子孫を残すためにあるのだから、子孫を残すことを考えて恋愛をしよう!」というのをやっている人間はおそらく少数派なのです。

平均的な人は、あまり子孫繁栄を意識せずに恋愛をして、結果的に子孫が残るのだと思います。

だから、恋愛は何のためにするのかという疑問が哲学的なものであれば、その疑問にはあまり意味がないように感じます。

一方で、学問として進化心理学をやっている人が学問以外の面(プライベート)でも科学的に考えると上記のような疑問は湧きそうです。

結局、人は何のために生きているのかみたいな疑問は、宗教を信じている人や哲学が好きな人以外にはあまり利益がないものだと感じます。

そうすると、今日やった仕事、今日会った友人にはどんな意味があったのかとかいちいち考えなくてもいいような気がします。

生存・繁殖の競争から降りている人がいれば、考える必要はないでしょう。

ただ、生存・繁殖のために仕事を頑張ったり恋愛を頑張ったりすることから降りるのは難しいです。

遺伝子には、競争から降りるという選択肢はあまりないと思います。

せいぜい、自分が成功するのを諦めて血の繋がった家族を支援することくらいでしょうか。

所詮この世が弱肉強食だとしたら、もう少し頑張らないといけないのかもしれません。

淘汰圧的な何かを感じながら。

今回の記事のタイトルは「人生で最終的にやりたいことは何なのか」ですが、この疑問に答えてみましょう。

私の場合、最終的にやりたいことは「後悔なく死ぬこと」かなと思います。

後悔なく死ぬというのは、自分が沢山の子供や孫に恵まれて、子孫が皆元気に育っていることです。

どんなにやりたいことをやっていったとしても、やり残したと感じることはあるかもしれません。

しかし、そういったことも子供や孫が幸せに生きていればどうでも良くなる気がします。

このあたりの「親の視点」というのは、私が絵本『100万回生きたねこ』で学んだことです。

自分が好きなように生きることよりも、誰かを愛することの方がずっと価値のあることなのだと。

私がいつか親になったら「育てる喜び」や「愛する喜び」みたいなものに目覚めそうです。

そうなったらきっと、「人生で最終的にやりたいこと」をやったと言える気がします。

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